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Yahoo!JAPANで「3.11」を検索しよう!今すぐあなたに出来る寄付がある!私が知る東日本大震災と今の様子

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Yahoo!JAPANで「3.11」を検索しよう!今すぐあなたに出来る寄付がある!私が知る東日本大震災と今の様子

東日本大震災がおきた3月11日、

Yahoo!JAPANで「3.11」と検索する事で寄付する事ができます!

 

3.11は東日本が大惨事に見舞われた日だから何か自分に出来る事はないのか?

もしあなたがこの記事を見ることができているのなら、今すぐ寄付をする事ができましょう。

 

https://fukko.yahoo.co.jp/

ただYahoo!で「3.11」と検索するだけ。

それだけで寄付をする事ができる。

 

特別大きなことをしようと考えなくても、多くの人達の力で何かを動かすことが出来るって素晴らしいですよね。

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Yahoo!で企画している東北復興支援の企画は「3.11」検索だけじゃない

Yahoo!で企画している東北復興支援の企画は「3.11」と検索する事だけじゃありません。

 

例えばチャリティーアイテム!

様々な有名人達が出品しているチャリティーアイテムを落札する事でも復興支援をする事ができます。

 

特別「復興支援」をしたいわけじゃなかったとしても、あなたの大好きな有名人のチャリティーアイテムを購入するだけで多くの人の力になれるという企画はとても素晴らしいですよね。

人それぞれ出来る事は違いますから、ただただ好きな有名人を全力で応援するという事が誰かに感謝されるというのはファン心理としてもとても嬉しいことです。

 

2018年3月11日にチャリティーアイテムを出品している人といえば、

羽生結弦選手・松本幸四郎さん・佐藤天彦名人・市川猿之助さん・河北麻衣子さん・MayJさん・道端カレンさん・桜井日奈子さん・エンヤさん・ピコ太郎さん・松井秀喜さん・デレク ジーターさん・井上和香さん・山本美月さん・久松郁実さん・サンドウィッチマンさん・森高千里さん・谷村新司さん・モーニング娘。’18さん、石ノ森プロさん・・・

などなど、他にも物凄く多くの人達が出品しました。

 

もちろん東北の商品を買うことで被災地域の応援をする事もできますよね。

知ることや見ることだって復興支援!

少し遠くの温泉で癒されたいという軽い気持ちで東北地方を選ぶことだって立派な復興支援です。

ただ楽しむ為だけに東北に足を運んでも構いません。


その旅行先で東北の現状を見たり知ったりして下さればそれも大きな力になります。

 

私が知る東日本大震災後、今の様子

東日本大震災が起こったのは2011年3月11日。

この記事を書いているのは2018年3月11日。

あの東日本大震災から7年が経過しました。

 

大地震があったあの日、私は工場で携帯電話アンテナ用鉄塔の大型パイプを溶接する作業をしていました。

そんな溶接作業中にまともに歩けないほどの大地震がやってきたのです。

工場内は少し散らかってしまいましたが、幸い周囲で怪我人はいませんでした。

あらかた片付けた後家に帰ることになり、あまり建物の被害がなかった町並みを見て少し安心しながら帰途に着きました。

 

帰る途中、家のすぐ近くの国道6号線が少しだけ湿っているのを見て、

「少しだけ水道管が傷んだのかな?」

くらいの気持ちでした。

私の家は海からそう遠くない場所だったのですが、少し高い場所に建っていたのと、海を背にした場所に建っていたので大津波が来ていた事には全く気づいていなかったのです。

 

大地震があったその時、妻と子は隣町にある実家で苺を食べていて、

妻は地震の中のんきに苺を食べていた5歳の子を抱きかかえ外に逃げ出し、一緒に居たお義母さんは逃げる事が出来ずに大声でお経を唱えていたそうです。

 

なんとか妻と子と合流できた私は妹のアパートで世話になる事になりました。

翌日妻と荷物を取り家に戻った時に福島原子力発電所の爆発音を聞いたのをはっきりと覚えています(しかしこの時は原発の爆発音だとは思っていませんでした)。

そしてさらにその翌日にニュースで原発が爆発したという報道を知り、外を散歩する事もできなくなってしまいます。

 

ただこの時点では流石に津波が来た事を知っていたので、親戚がどうなっているのかが気になり始めます。

ほぼ音信不通ですし、親戚の殆どは海の近くに住んでいます。

その消息を知るために色々な所に足を運びました。

 

その中にはまるで戦場のように数十体~百体程のご遺体が並べられていた場所もありました。

妹はその惨劇を目の当たりにして泣きじゃくっていました。

結果として親戚は皆無事でしたが、

母の実家は完全に海になってしまいましたし、友人の父などは海から長距離流されて奇跡的に助かったものの長期入院、

母は避難途中で骨折し二度と歩けない体になり、元気だった祖父は避難疲れで入院後ついには息を引き取ってしまいました。

 

原発爆発から数日後には仙台に住む父の知人の家にお世話になることになります。

しかし2週間もすると家族も辛抱ができなくなり、結局は南相馬市の自宅に帰ることになりました。

 

それから数年、友人の死や妻の妊娠、私の転職など色々な事がありましたが、

2人の子も生まれ幸せに暮らしています。

 

南相馬市も一時期は多くの除染業者や土木業者・窃盗団による犯罪の多い地区となってしまいましたが、各種業者もほぼ撤退しだいぶ落ち着いた町になってきました。

ただし、様々な業者が減ると同時に町の活気も衰退してきました。

 

避難していた人達の殆どは他地方での生活基盤を作ってしまい戻ることが難しい状況です。

戻って来たいと思っている人達でさえ現実的に戻る事ができないというのが現状です。

 

30年以上前の活気ある街並みに戻す事は難しいかもしれませんが、せめて娘たちが大きくなるころには震災前程度の生活感がある町を作れたら良いのに。

というのが南相馬市に住む私達夫婦の思いです。

 

 

 

上手く伝える事ができなかったかもしれませんが、今回の私達家族の現状があなたに何か思ってもらえる部分があれば何よりです。

 

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